私が、チューニングショップをやる理由。

 「独立」と言っても、結構大変です。悩むことがたくさんあります。楽しいことより苦しいことの方が多いかも知れません。普通のサラリーマンとして、人に使われていた方がどんなに楽だろうと思ったことも、一度や二度ではなかったというのが正直な想いです。

 しかし、何故、自分でショップを開きたいのかと考えると、

 まず第一に、自分の夢を達成したいこと。「自分自身で自画自賛できる世界最高というクルマ」を、全てのパーツを自社製で作り上げること。この夢は、最悪、ヨボヨボのじいさんになってから、たった1台でも良いのです。「自分の納得いくクルマを作り上げたい。」こんな途方もない夢があるからです。

 次に、昔全くの素人の頃、自分で一生懸命考え、悩み、選んだ末に行なったチューニング。しかし、ショップにあっさり裏切られ、騙されてしまった。
 悔やんでも悔やみきれない、そんな苦い経験を、現在の一般のユーザー(私達がチューニングに夢中になっていた頃は、全くのマニアが、地下でこそこそ行なっていた時代です。しかし、現在のユーザーは、既に、釣りやゴルフなどと同レベルの”趣味”になっているのです。)に経験させたくない。
 もし、自分が素人なら、「絶対に行きたいショップ。ナンバーワン!」「信頼のおけるショップ。」を造りたい。のが2番目です。自分のした失敗をさせたくないのです。

 また、本当の意味で、ユーザー本意のショップにしなくてはいけないとも考えています。ユーザーが何を求めているのかを忘れては、レーシングアートの存在価値がないとまで考えています。
 ある意味「ユーザー本意」という言葉は、当てはまらないかもしれません。ある社会的な高い地位にあるユーザーから「掛かり付けの医者のようだ。」「話を聞いて安心しました。」と、過大評価(?)して貰ったことがあります。
 私が、目指しているのはそんな評価です。今まで、自分で身体の調子が悪い時、例え、どんなに有名な病院に行っても、納得いく説明を受けたことがありません。でも、自分の身体を任せるからには、本当に納得がいかなければ、嫌なものです。
 それと似ているような気がします。自分が大切にしているクルマを預け、任せる。そして作業内容は素人には、なかなか見えてこない。本当に信用できなければ、やれない。まして、足廻り、ブレーキ、駆動系は、命に直結している部分です。人の命を預かるという意味では、医者と同じような職業かもしれません。その責任感を持っているという自負を常に持ち続けることが、レーシングアートの目指すべき「ユーザー本意」と考えています。

 独立してフリーな立場になってみて、まっ先に感じたことは、「ユーザーが本来求めているところは、別にあったんだ。」と言うことでした。
 前の会社の方針もあり、どちらかというと、パーツを売り、パーツを取付けるのが仕事でした。しかし、ユーザーの想いは、自分のクルマを速くし、調子を良くしたいだけなのです。

 ある外見上は全くの紳士で、前の会社に勤めている内には、一度も不満を漏らしたことがなかったユーザーが、「独立おめでとうございます。」の挨拶の後、静かに、しかしきっぱりと「パーツを付けるだけなら、量販店でやる。何故わざわざチューニングショップに持ってくるのか?解ってない。」と前の会社に対して批評した時、正直言って、私はガ〜ンとショックを受けました。

 自分もそうありたいと思って、前の会社に勤めていたはずなのに、いつのまにか、周りに流され、パーツを売り、パーツを取付けるのがチューニングショップだと、どっぷり染まってしまっていたことに気付かされました。

 「自分の会社なのだから、決して妥協しない。」「理想だけを求めていく会社があってもいいじゃないか!」と、妙に意気込んでいる気合い充分の今の私です。(いつまで続くことやら・・あまり頑張り過ぎずに、この気持ちを長続きさせなければ・・)