最低握力(=指先の力)

 特に自慢するつもりもありませんが、作業をきちんと行なうには、ある程度肉体的な最低基礎体力が必要になります。
 実際には指先の力の強化?が必要になるのですが・・ここでは、解り易くする例として、最低握力について少し説明しようと思います。

 重要なのは微調整の出来る範囲です。プラグ交換作業時に親指、人差し指、中指の三本でコード先端のブーツ部分を摘んでプラグに張り付いているブーツを引き離します。この時、L字に曲がっている部分に指が当たってはいけません。
 この部分は、少しでも力が入ると内部の線が切れてしまいます。その切れた部分は通常のテスターでは判断出来ません。
 低電圧では通電しても、実際の高電圧では通電しない部分です。通常、この通電状態を判断するにはオシロスコープを使用します。しかしながら・・実は、高電圧で“
正常に”通電しているかどうか?はオシロスコープでも判断出来ません。
※ここで言う、“オシロスコープで判断出来ない!”と言う話は、電気の上辺だけしか理解していない人には理解出来ないはずです。点火系統の“深い点検修理”を行なった事が無ければ、意味が解らない筈です。つまり、電気の1,000分の一レベルになります。
 また、一般のオーナーがどうしても変だ?と感じて訳が解らなければ、とりあえず、プラグコードを新品純正に戻すのはある意味、正解です。(=レーシングアートでは予想だけで根拠のないパーツ交換はしませんが、個人レベルにおいて電気を理解していないが、どうしても修理したい!と望めば、それも仕方ありません。)

 このミスは誰でも犯しかねないミスです。
 しかし、プロなら絶対に許されないミスになります。

 このミスを犯さない為の握力は、55〜65キロまでを細かく調整出来る握力です。最大握力は一瞬の瞬発力であり、その数値はあまり意味がありません。
 因みに私の最大握力は
75〜78キロ付近ですが、重要なトルクを掛ける作業の場合は、体調が少しでも悪ければ、その作業は翌日に変更します。
※因みに、20才前後に数年間付き合った彼女にこっぴどくフラれた私は突然、暇を持て余すようになってしまい、1セット100回の腕立て、腹筋、寝そべっての足上げなどを気が付けば、一日15セット以上行ない、見る間に腕周り41センチ、太股周り68センチになっていました。でも、この時の握力は63キロ位しかありませんでした。今では、すっかり腕周りも太股周りも痩せて細くなっていますが・・それでも職業病と言うべきか?これ程の握力になっています。ある意味特殊な身体になってしまうのかも知れません。

 また、常日頃の鍛錬?が必要です。細かく調整するのはそんなにたやすい事ではありません。因みに、鍛錬方法は、
A.人差し指、中指、薬指の第二関節までを鉄棒に引っ掛けて“なるべくゆっくり”と懸垂を行ないます。連続、10回が目標です。出来ればこの時指先だけで身体を上に引き上げるようにします。
B.親指、人差し指、中指の3本で指立てふせを“なるべくゆっくり”50回を一日数本行ないます。
C.B.が苦もなく行えるようになったら、指を減らしていって、親指1本だけの腕立てをこれも“なるべくゆっくり”と行ないます。
なるべくゆっくりがポイントです。瞬発力は全く必要ありません。大きな握力(→指の力)で且つ、微調整が出来る事が目的です。一番きついのはA.ですが、私の場合、これが出来ない日は高度な技術が必要な作業は中断します。

 きちんとしたメカニックを目指すなら、体力も重要です。「将来、良いメカニックになりたい!」と、レーシングアート宛に真剣にメールを送って貰う人が数多く居ます。
 それは、非常に喜ばしい事ですが、地道な日々の鍛錬が必要になる事は決して忘れないでくださいね!

※全ての事に関して言える事ですが・・自分が出来ないから、「そんなのあり得ない!!」と言う事はあまりに見識が狭すぎます。チンパンジーは子供でも100キロを超える握力があります。高校時代の友人で特にスポーツをしていないのに80キロを超える握力の持ち主も居ました。プロレスラーは殆どが100キロを超えるとも聞いています。
しかし、握力があるのは特にメリットがある訳でもありません。超一流選手でも握力が50キロ以下の人も居ます。大事な事は“何かを成す”には最低必要な体力が必要で、その部分を押さえれば他はあまり重要ではないと言う事ですよね。
また、
“そんなのあり得ない”的?生き方しか出来ない人は、人生の楽しみの90%以上を捨てているとしか考えられません。“もしかしたら・・出来るのかも?”と考えて、そんな人を捜してみて、確認して、体験してみると「おおっ・・」と感動するかもしれません。
簡単に凄い事をやってのける人達は、実は、あなたが周りをよく見ていないからであって、世の中にはゴロゴロと存在する物です。(=仕事の出来る人はそんな人達を数多く知っているから、「そんな人を私も知っている。」と自然と受け入れられる物です。)